今回は、『凪論』というBlogの『健全な憲法議論ができないのはなぜか?』という記事へのトラックバックです。
なんでこの記事が気になったかというと、護憲論者に現実を教えるような形をとっていながら、逆に現実の呪縛から抜け出せていないように思えたからです。
以前にも書きましたけど、私は「現実を見据えた上で、夢を目指す」というのが基本スタンスなので、
「日本国憲法に対しての典型的な幻想」
と一言のもとに切り捨てられてしまうと、護憲論者でもないのに、ちょっと気になってしまうというか。
まず、「占領下においては情報操作も思うがままである」ということが、「国民が大歓迎していなかった」の証明にはなってないのではないでしょうか。
第二次大戦のときとか、第一次大戦のときとか、古くは南北戦争のときとか、国をひっくり返してしまうような大きな戦争のあとは、(時としてやや理想主義すぎるくらいに)平和への欲求が強まるというのは、歴史的によく見かける光景だと思うのですが。
あと、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」が現実に存在していないからといって、なんで目指しちゃいけないのかがよくわかりません。
そういう社会を目指すことへの努力がまったく効果ないという結論が出ているのならともかく、まだまだ考えること、やれることはあると思うんですけど。そういった努力と、現実問題への対処というのは両立できることな訳で。(現実問題を投げ出してそういったことばかりやるのは問題ですけど)
たとえ100%の達成ができなくても、戦争のない世界を指向することはまったく問題ないと思うし、長い時間をかけてでもチャレンジする価値のある目標だと思うのです。私は、この前文は大好きですけどね。
逆説的な言い方をすれば、この前文を達成する最大限の努力を今までの日本政府がしてきたかというとはなはだ疑問で、そいうい意味では9条以前に、もう憲法違反かもしれませんね。
日米安保の維持と、アメリカへの非追随だって、決して両立しないものではありません。私は日米安保はアメリカだって十分に利益を享受したと思っていますので、ある程度の譲歩を引き出せる切り口はあると考えます。(ホントは冷戦時代の方が日本側が有利に交渉を進められるチャンスは大きかったと思うのですけど)
私は「自らを守るに足る軍事力」にこだわり、日米安保破棄する方が、中国とのさらなる緊張を生み出し、日本にとってもアジアにとってもマイナスになると思ってますし。
憲法改正も、国民投票法も、私は必要だと思いますが、今の自民党案には賛成できないですね。まあ、改憲論者の中にもこういう奴がいて、自分の意見を述べられるのも、民主主義社会、ってことで。
ついでに、元記事のお玉さんの方にも少しツッコミを。
『戦後60年以上の間、ただ一人の戦死者も出さずに「先進国」としてやってこられる国』であった理由は、悲しいかな憲法よりも、日米安保であった、と私は考えます。上で書いたように、私は戦後の日本が、憲法の前文を達成するための努力を十分やってこなかったと捉えていますので、その憲法的成果は、たぶんに「棚ぼた」でしかないと考えるからです。
副次的な効果として、軍備に対する強い歯止めの役割は果たしたとは思いますが、これも日米安保があったから、安心して?軍備を押さえられたという側面はあるのではないでしょうか。
(だからといって、日本が「安保ただ乗り」したとは全然思いませんが)
しかしながら、「ほらみろ、今の憲法は平和に対して役立たずだ。だから改正すべきだ」という型の改憲論者の方とは意見を一にしません。
「今まで憲法の精神を守ってなかったのだから、この憲法がだめかどうかはわからない。だから、今度からはちゃんと守るようにして、この憲法の可能性を探っていきましょう。ただ、自衛隊の位置づけはさすがにちょっと無理な解釈の上に成り立っていると思うので、その点だけは明確にするよう改正すべき」
というのが、一番近い私の改憲に対するイメージでしょうか。
なんでこの記事が気になったかというと、護憲論者に現実を教えるような形をとっていながら、逆に現実の呪縛から抜け出せていないように思えたからです。
以前にも書きましたけど、私は「現実を見据えた上で、夢を目指す」というのが基本スタンスなので、
「日本国憲法に対しての典型的な幻想」
と一言のもとに切り捨てられてしまうと、護憲論者でもないのに、ちょっと気になってしまうというか。
まず、「占領下においては情報操作も思うがままである」ということが、「国民が大歓迎していなかった」の証明にはなってないのではないでしょうか。
第二次大戦のときとか、第一次大戦のときとか、古くは南北戦争のときとか、国をひっくり返してしまうような大きな戦争のあとは、(時としてやや理想主義すぎるくらいに)平和への欲求が強まるというのは、歴史的によく見かける光景だと思うのですが。
あと、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」が現実に存在していないからといって、なんで目指しちゃいけないのかがよくわかりません。
そういう社会を目指すことへの努力がまったく効果ないという結論が出ているのならともかく、まだまだ考えること、やれることはあると思うんですけど。そういった努力と、現実問題への対処というのは両立できることな訳で。(現実問題を投げ出してそういったことばかりやるのは問題ですけど)
たとえ100%の達成ができなくても、戦争のない世界を指向することはまったく問題ないと思うし、長い時間をかけてでもチャレンジする価値のある目標だと思うのです。私は、この前文は大好きですけどね。
逆説的な言い方をすれば、この前文を達成する最大限の努力を今までの日本政府がしてきたかというとはなはだ疑問で、そいうい意味では9条以前に、もう憲法違反かもしれませんね。
日米安保の維持と、アメリカへの非追随だって、決して両立しないものではありません。私は日米安保はアメリカだって十分に利益を享受したと思っていますので、ある程度の譲歩を引き出せる切り口はあると考えます。(ホントは冷戦時代の方が日本側が有利に交渉を進められるチャンスは大きかったと思うのですけど)
私は「自らを守るに足る軍事力」にこだわり、日米安保破棄する方が、中国とのさらなる緊張を生み出し、日本にとってもアジアにとってもマイナスになると思ってますし。
憲法改正も、国民投票法も、私は必要だと思いますが、今の自民党案には賛成できないですね。まあ、改憲論者の中にもこういう奴がいて、自分の意見を述べられるのも、民主主義社会、ってことで。
ついでに、元記事のお玉さんの方にも少しツッコミを。
『戦後60年以上の間、ただ一人の戦死者も出さずに「先進国」としてやってこられる国』であった理由は、悲しいかな憲法よりも、日米安保であった、と私は考えます。上で書いたように、私は戦後の日本が、憲法の前文を達成するための努力を十分やってこなかったと捉えていますので、その憲法的成果は、たぶんに「棚ぼた」でしかないと考えるからです。
副次的な効果として、軍備に対する強い歯止めの役割は果たしたとは思いますが、これも日米安保があったから、安心して?軍備を押さえられたという側面はあるのではないでしょうか。
(だからといって、日本が「安保ただ乗り」したとは全然思いませんが)
しかしながら、「ほらみろ、今の憲法は平和に対して役立たずだ。だから改正すべきだ」という型の改憲論者の方とは意見を一にしません。
「今まで憲法の精神を守ってなかったのだから、この憲法がだめかどうかはわからない。だから、今度からはちゃんと守るようにして、この憲法の可能性を探っていきましょう。ただ、自衛隊の位置づけはさすがにちょっと無理な解釈の上に成り立っていると思うので、その点だけは明確にするよう改正すべき」
というのが、一番近い私の改憲に対するイメージでしょうか。
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繰り返しになるかもしれませんが、私の立ち位置はマガジン9条的には3になります。
自衛隊の位置づけや侵略戦争をしないことをハッキリ明示した上で、憲法裁判所を創設してしっかり守るようなシステムにするという考え方です。
今回のエントリーのカネジさんのイメージは自分と近いように感じました。
エントリー違いかも知れませんが、お玉さんに関しましては今一つなんだかなぁと思っています。他所のブログの表現を借りますと「他人に議論を任せて自分だけ安全な場所にいる」ことが多いように感じています。
ブログを上手に運営されるテクニックなのでしょうが。
繰り返しになるかもしれませんが、私の立ち位置はマガジン9条的には3になります。
自衛隊の位置づけや侵略戦争をしないことをハッキリ明示した上で、憲法裁判所を創設してしっかり守るようなシステムにするという考え方です。
今回のエントリーのカネジさんのイメージは自分と近いように感じました。
エントリー違いかも知れませんが、お玉さんに関しましては今一つなんだかなぁと思っています。他所のブログの表現を借りますと「他人に議論を任せて自分だけ安全な場所にいる」ことが多いように感じています。
ブログを上手に運営されるテクニックなのでしょうが。
by: ちいくま * 2006/02/09 17:33 * URL [ 編集] | page top↑
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カネジ様
申し訳ないのですが、指摘事項があります
>国をひっくり返してしまうような大きな戦争のあとは、(時としてやや理想主義すぎるくらいに)平和への欲求が強まるというのは、歴史的によく見かける光景だと思うのですが。
の部分ですが、ソースがないと説明にならないと思います。少なくとも、WW1の後のドイツはその例に外れているわけですし、過去に遡れば遡るほど反例は出せます。第二次大戦後に起きた朝鮮戦争とそれに加担した中華人民共和国・アメリカも反例に挙げられると思います。
カネジ様
申し訳ないのですが、指摘事項があります
>国をひっくり返してしまうような大きな戦争のあとは、(時としてやや理想主義すぎるくらいに)平和への欲求が強まるというのは、歴史的によく見かける光景だと思うのですが。
の部分ですが、ソースがないと説明にならないと思います。少なくとも、WW1の後のドイツはその例に外れているわけですし、過去に遡れば遡るほど反例は出せます。第二次大戦後に起きた朝鮮戦争とそれに加担した中華人民共和国・アメリカも反例に挙げられると思います。
--ちいくまさんへ--
コメントありがとうございます。
お玉さんについては、人によっても意見や感じ方が違うと思いますし、私の感じ方は述べさせていただきましたので、ここでは言及しないようにします。
私としては、気になるときにはコメントなりトラックバックをしていくという立場を続けるでしょう。
コメントありがとうございます。
お玉さんについては、人によっても意見や感じ方が違うと思いますし、私の感じ方は述べさせていただきましたので、ここでは言及しないようにします。
私としては、気になるときにはコメントなりトラックバックをしていくという立場を続けるでしょう。
--紗穂瑠さんへ--
わあっ、たしかにやっちゃってますね。(>_<)
こういう、他の立場の方と議論するときに、「〜が当たり前であるかのように話を進める」は、もっとも注意しなければならないことの一つであるはずなのに・・・。
また、紗穂瑠さんが指摘のように、「平和への欲求が強まる」というものの主体を明確にしていないと、国家間の動きを例にした反証に対して、後出しのような定義をする羽目になってしましますね。
また、その対象が全体といっていいものか、もしくは一部であるが影響力としては無視できないものであったか、等の考察もすべきでした。
この件については、『凪論』様の反論も受けて、もう少し考察を深めていきたいと思っていましたので、合わせてもっと明確になるよう考えてみたいと思います。
ご指摘ありがとうございました。
わあっ、たしかにやっちゃってますね。(>_<)
こういう、他の立場の方と議論するときに、「〜が当たり前であるかのように話を進める」は、もっとも注意しなければならないことの一つであるはずなのに・・・。
また、紗穂瑠さんが指摘のように、「平和への欲求が強まる」というものの主体を明確にしていないと、国家間の動きを例にした反証に対して、後出しのような定義をする羽目になってしましますね。
また、その対象が全体といっていいものか、もしくは一部であるが影響力としては無視できないものであったか、等の考察もすべきでした。
この件については、『凪論』様の反論も受けて、もう少し考察を深めていきたいと思っていましたので、合わせてもっと明確になるよう考えてみたいと思います。
ご指摘ありがとうございました。
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昨日のブログに対し「コウモリ的平和日記」よりトラックバックがあった。まずは当ブログに関心を持っていただいたことに感謝したい。今日は憲法改正論議の最後として「コウモリ的平和日記」の2月6日公開分発言の問題点について論じてみたい。 まず、「まず、『.... 凪論【2006/02/08 00:07】

